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仰げば尊し最終回!ドラマは実話とは違う結末!?先生はどうなる!?

現在大好評を博している日曜ドラマ「仰げば尊し」。

二世タレントが数多く出演している事でも話題ですね。

実はこのドラマ実話を元に作られているのです!!

その原作について解説していきたいと思います。

原作は石川高子さん著「ブラバンキッズ・ラプソディー―野庭高校吹奏楽部と中澤忠雄の挑戦」という作品です。


ブラバンキッズ・ラプソディー―野庭高校吹奏楽部と中澤忠雄の挑戦

ドラマでは同じ野庭高校が美咲高校、中澤先生が寺尾聡さん演じる樋熊先生、という形で描かれています。

ドラマの第一話の冒頭でも石井杏奈演じる有馬渚が心の中で樋熊先生に語りかけ、樋熊先生の娘・樋熊奈津紀が吹奏楽部の指揮をしているシーンがありましたが、中澤先生は1996年8月に亡くなられています。

なので、ドラマの中でも樋熊先生が亡くなる、という形で締めくくられるのかな、と予想しました。

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「仰げば尊し」最終回ネタバレ!結末は実話と違う!?

中澤先生(劇中では樋熊先生)が指導するようになった翌年(1982年)は地区大会を突破して県大会に進む事ができ、そして何と、県大会をも突破して関東大会で見事銀賞を受賞しました。

中澤先生の指導はものすごく厳しい物でした。

そんな指導方法に反発心を抱く生徒も少なくなく、中には「辞めたい」と言い出す生徒も出る始末。

ですが、中澤先生の指導が厳しいのには理由がありました。

吹奏楽の甲子園」に連れて行ってやりたいという思いからでした。

繰り返して起こる様々な問題と格闘しながら生徒達、そして中澤先生も共に泣き、笑い、怒り、喜び、成長していきます。

とうとう憧れの普門館へ。結果は?!

1982年、中澤先生が指導するようになり見事一年目で県大会まで突破した野庭高校ですが、この次の年に更なる奇跡を起こします。

1983年11月6日、その奇跡の時が来ます。

夏の地区大会・県大会そして関東大会を突破して関東の代表校として全国大会に出場した中澤率いる野庭高校吹奏楽部。

目標の場、夢の場でもあった憧れの普門館の大ホール。

家族や仲間が見守る中、素晴らし演奏を披露した野庭高校。

この日まで無名だった野庭高校。

そんな野庭高校はこの日全国に名を轟かせ、見事「金賞」を受賞したのです!!

ステージ上でも観客席でも泣きじゃくる生徒達と家族。

「絶対に無理」と言われてきた事がこの日ようやく実現したのです。

受賞の瞬間、生徒達も家族も教師も色々な事が走馬灯のように頭の中を駆け巡ったでしょう。

中澤先生の厳しい指導もこの日実を結んだのです。感動で涙が止まらないのも無理はありません。

その時の演奏がこちら。

アルメニアンダンス パートⅠ 1983.11.6 普門館

震えますよ。

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審査員全員満点の快挙も!

その後も数々の素晴らしい演奏を残しますが、1995年、「シバの女王ベルキス」で審査員全員が満点を付けるという名演を全国大会で披露した翌年、中澤先生は病気で帰らぬ人となられます。

その満点を取った演奏がこちらです。

【吹奏楽編曲】バレエ音楽「シバの女王ベルキス」より(95年:野庭高校)

ドラマではどうなる?樋熊先生は?

恐らくですが、ドラマの回数の問題等からも、ドラマでは1983年の初の金賞受賞の場面までが描かれるのではないかな、と思います。

ですが、最初にも記載した通り、樋熊先生に語り掛けるシーンと樋熊先生の娘である奈津紀が指揮を執るシーンはあるので、数年後の回想シーンのような物はあるのかなと思いました。

注目はこの金賞受賞した演奏をどう描かれるかですね。

野庭高校の演奏はしかし野庭高校は「野庭の音」なんて言われていますが、まさに音楽をやっていると言う感じで中澤先生の「感動しない音楽は音楽じゃない」という考えが反映された演奏だと言われています。

その演奏をドラマでどこまで再現できるか注目です。

最終回の結末も楽しみですが、どのような道のりを経て全然バラバラだった部員たちが徐々に心を一つにしていくのか、そのさまがどのように描かれていくのかも楽しみに観ていきたいと思います。

今は亡き、中澤先生

最後に、樋熊先生のモデル、中澤先生のインタビュー映像を。

「音楽はこころ」

こんな体育会系な吹奏楽部は初めてみましたが、やはり全国に行くようなところはこのように規律がしっかりし、心を鍛えるということをまずきちんとやられているんでしょうね…。

このインタビュー映像も感動です。ぜひ。

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